フォルケホイスコーレで勉強したい理由

来年、社会人留学を決行してフォルケホイスコーレへ行くので、朝の時間を使って、英語の勉強と自分が言いたいこと、やりたいことや何をやったかをテキストに残しておきたいと思い、はてなブログを始めました。非公開でもいいような心持ちなのですが、誰かに見られているかもと思う気持ちはとても大事なので、一旦公開します。二週間くらいを目処に英訳します。

 

私の名前はとっ渡航ハム太郎です。東京で漫画編集者をやっています。漫画編集者の業務は非常に多岐に渡ります。基本的には漫画を読みやすく編集する仕事をしています。WEBTOONではない限り、日本の漫画のコマは右から左に、上から下に進んでいきます。吹き出しの位置の調整や、情報の整理などは案外自分だとうまくいきません。第三者の視点として「え?!そうなの?」「なんの話をしているんだ?」とならないように調整する役割が大きいです。

あるいは、作家さんと話を聞いて、メンタルを整えるだけのときもあります。時にはシナリオのほとんどを考えたりをしています。その人の性格、個性、作風に合わせて働く内容を変えるイメージです。例えば、作家性が強い、個性的で自分の世界を表現するのが得意な作家さんは、その人の成分純度が高いものの方が当然面白いし、ファンもその人のものを期待しているので、雑談で少しでも新しい情報をインプットしてもらえるようにするだけに留めます。しかし、サスペンスや推理ものを描いている作家さんの場合だと、解決方法や次の展開について一緒に考えます。そんな風に、その作家さん、その作品ごとに自分の仕事を変えています。

 

さて、今回の留学理由にも大きく関わってきますが、段々と仕事の中で、上記のメンタルケアについて年々比重が大きくなってきたことが、私が今回留学を志した大きなきっかけです。日本の作家さんは本当に病みやすく、そこが酷く心配になったのです。具体的にいうと、自己肯定感が低く、コミュニケーション能力に乏しいといえます。


例えばずっとSNSで連絡をしてきたり、しきりに「私のことを好きか」と聞いてきたり、編集者の好みに過度に合わせようとしたりします。気分の浮き沈みに、付き合わせようとしてきたりもします。私はこんなに辛いのに、お前は何故普通にしているのかという感じです。擬似的な恋人関係に近いかもしれません。ビジネスとして適切な距離を置こうとすると、編集者の代わりに、ファンや知人、異性に依存したりして、編集者としてのリクエストを完全に無視するようになることもあります(それが作品にとっていい形に進めば別にいいのですが、大抵そうはなりません)。


酷い場合は、何かのきっかけで逆上し、出版社や編集者に対して嘘の告発をしたり、仕事上のやりとりを進める上で、暴言を吐いたりするときもあります。(もちろんネット上の告発には適切なものも多くあり、全てがそうというわけではありません)

 

私は数年間の漫画編集生活で、接する人々の下記の問題について、とても気になるようになりました。とはいえ、下記の問題は作家さんに限ったことではないのは、TwitterなどのSNSを利用しているとよくわかります。

 

・自分の機嫌を自分でとることができない
・自分の要望を適切に伝えるためのコミュニケーション能力に難がある
・“例えば”やどうして今その説明をしているかの真意を理解できない
・他者の立場になって考えることが苦手


 私はこれらの根本原因は、日本の教育にあるのではと考えるようになりました。しばしば言われることですが、日本の教育では対話の作法を学ぶ機会がありません。自分と違う意見の人の意見をどう聞くか、自分の意見をどう言うかと言う、そういった、ものすごい基本的なことを学ばないまま、なんとなく大人になっていくのです。私は、残念ながら、ただの編集者で教育の専門家でもメンタルケアの専門家ではありません。なので、上記の問題を抱えた作家さんとは辛抱強く、一生懸命ヒアリングにヒアリングを重ねて、信頼関係を築き、作家さんの肯定感をできる限り上げられるように努めます。作家さんの言いたいことを辛抱強く受け止めて、完全否定せず「君はすごいよ」と何度も伝えると、やはりメンタルは安定していく印象があります。しかし、これらは愚直で自分自身の時間や体力を大きく削るやり方なので、あと数年もしたらこの体当たり的なやり方はできなくなると思います。

 

私は海外旅行が趣味で、いろんな国へ行っています。正直、ある程度の差はあれどどの国の人も大体一緒だと思っています。日本には問題が多いですが、他の国も他の国の問題があり、完全な国はありません。


それでも、私は段々とデンマークに留学して教育について勉強してみたいなあと思うようになりました。と言うのも、今まで行った旅行の中で出会う人々で、デンマークの方々が圧倒的に対話能力に優れていたからです。お話しをしていると、目を見て、うんうんと頷いて表情や仕草全てで「あなたの話を真摯に聞いていますよ」と言うことを表現してくれますし、アジア人でも、拙い英語でも笑うようなことがありません。聞き取りやすいように配慮しつつ、遠慮せず自分の意見を伝えてきます。表面的なものではなく、対話の姿勢が骨まで沁みているような印象があり、私は一体どのような教育をしているのかとても気になって仕方なくなってきたのです。


偉そうなことを書きましたが、私だって対話は決して得意ではありません。一生懸命やってきただけです。一生懸命やってきたが故に、正直ちょっと絶望して、なんとなくいつも疲れています。なので、体力や気力が尽きる前に、フォルケホイスコーレで自分自身もきちんと教育や福祉、そしてなにより対話の正しい作法を学びたいと強く思うようになりました。


フォルケホイスコーレで学べることは、もしかすると私が望んでいることではないかもしれません。それでも、絶対に得られるものがあると思うので、今からどんなことが学べるのか楽しみです。